そこで、カギとなるのが、「三陸沖」を震央地として発生した「三陸はるか沖地震」と「東日本大震災」です。
「昭和南海地震」から「三陸はるか沖地震」までの地震の形態は、月別の地震発生回数は少なく(当時の観測技法・精度は考慮しない。)、規模の大きな地震は海域で発生するものが中心でありました。震度5以上の地震は、何ヶ月、何十ヶ月も経過して後に、発生する程度のものでした。よく言う、まさに「災害は忘れた頃にやって来る」と言うものでした。
(次回に続く)
そこで、カギとなるのが、「三陸沖」を震央地として発生した「三陸はるか沖地震」と「東日本大震災」です。
「昭和南海地震」から「三陸はるか沖地震」までの地震の形態は、月別の地震発生回数は少なく(当時の観測技法・精度は考慮しない。)、規模の大きな地震は海域で発生するものが中心でありました。震度5以上の地震は、何ヶ月、何十ヶ月も経過して後に、発生する程度のものでした。よく言う、まさに「災害は忘れた頃にやって来る」と言うものでした。
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